自己紹介文
東京出身、ギターを小原聖子に師事。10代より師と共に各地にて公演。20才の時東京文化会館小ホールにて初のジョイントコンサート。以後、多くのコンサート、イベント等に参加する。その後、イタリア・トリノ市に在住のギタリスト柿沼宏嗣氏の助手として2年間、近郊の町の音楽院の講師等を務め、また、氏と共にトリノ市、アンコーナ市などでコンサート活動行う。コンクールは唯一、現在の「東京国際ギターコンクール」の第16回に出場、本選での最終審査6名に選ばれたが入賞はしなかった。その後、さまざまなカルチャースクールや有名音楽院、ギターショップの講師、また、大学や大手企業ギタークラブの指導を行った。現在、横浜の東急線青葉台に「志村ギター教室」を開設、幼児からシニア&シルバーまで幅広い世代にギター音楽の楽しさを広めている。
〈ギターとの出会い〉
幼少の頃はあまり音楽には縁がない自然児で、毎日外で遊びまわっていたような記憶しかありません。何故音楽に興味を持ったかということも、今思えば単なる偶然の重なりだったと思わずにはいられませんが・・・。もちろん無理に考えれば兄が買って家に置いてあったプレスリーのレコードをジャケットを見ながらでたらめ英語でよく歌ってた記憶があったり、ハーモニカでさんざんいろいろな物を吹いていたといえないことはないですが・・・。
ただ、今に結びついているのは中学生の頃クラスに友人が持ってきた一台のギターで、友人は当時流行のTVドラマのテーマ曲を弾いたような、そして私もうまい具合に兄のギターが家にあったのでそれを持って彼の家に行き二人であれこれいじっていました。その頃、例のナルシーソ・イエペスの弾く「禁じられた遊び」のレコードを聞き、友人と二人でどう弾いているんだかまったく分からず、なぜこんなきれいな音が出るのだろうと驚き不思議がっていました。
私はたまたま近くでギター教室の看板見つけすぐにそこに習いに行きました。1年ぐらい通っていたのですが、元来凝り性の私はすぐにアルハンブラやソルの魔笛などを弾き(いま思えばメチャクチャな演奏ですが)教室では鼻を高くしていました。ある日、教室で見たコンサートのチラシに20代前半のかわいらしい女の子の写真が載っており、魅了された私はすぐに行ってみることにしました。 上野の東京文化会館小ホールでの生まれて初めてのコンサート、私はすっかり雰囲気に飲まれていました。そしてオープニング、ドレス姿で登場した彼女は優雅に1曲目を弾き始めました。そのとたんあまりの音の美しさに私はショックを受けその後は夢心地に。「ギターてこうなんだ、今の先生じゃダメだな」としきりに思っていました。
帰ってから「あの先生に習おう!」と決めていた私は電話帳で彼女の名前小原聖子を探したところ、中野に一軒「小原ギター教室」というのがあり、ここだと確信(チラシに父親の小原安正に手ほどきをとあった)早速中野まで行き駅前の交番で場所を聞き門を叩きました。入り口を開けたとたんレッスンを待つ門下生が弾くスケールの音が一斉に聞こえてきて、すごいなここはとワクワクしたのを鮮明に憶えています。
そのころの小原安正先生は初めて本場スペインでギターを学び日本のギター界を作り上げた人でした。そのお嬢さんの小原聖子さんはスペインから帰って来てまだ教え始めて間もない頃でした。1階がレッスンを待つ居間で2階がそれぞれのレッスン部屋、初めてのレッスンの時、聖子先生が「ギターをやっていたの?何か弾いてごらん?」と言ったので私は前の教室では少し弾ける方だったので得意げにラモーのメヌエットを弾いたところ「あなたそれでギターを弾いているつもりなの?」と譜面台につるしてあった爪切りで、ギタリストを気取って長く伸ばしていた爪をバチバチ切られてしまいました。私は妙に感心して「やっぱり違うな!」と納得したものでした。そのとき私は確か中3か高校1年になっていたと思います。
それから後は私のギター人生の始まりです。それから2~3年後にはギタリストになりたいと漠然ながら思い始めていました。なにしろその頃まわりには蒼々たるメンバーが多くいてそのギターテクニックに刺激を受けないはずはなかったのです。